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「ぶらり法善寺」
文:桂小米朝 |
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私が、トリイホールの社長、鳥居学さんと親しくさせていただくようになったのは、このホールが出来てからのことです。
かつて、ここは「上方」という名の旅館でした。中座や角座が近いことから、東京の役者さんが何人もここを定宿としていました。
歌舞伎界では八代目松本幸四郎、三代目尾上松緑、若くして急逝した尾上辰之助、今の尾上菊五郎、市川団十郎・・・。歌舞伎以外でも喜多村緑郎、花柳章太郎、石井寛、辰巳柳太郎、長谷川一夫・・・。宿帳だけでも国宝級です。噺家の利用も多く、柳家金語楼、桂文楽、三遊亭円生、柳家小さん、古今亭志ん生、古今亭志ん朝・・・と、枚挙に暇(いとま)がありません。
私の父、米朝も大阪に住みながら、執筆や酒宴の場としてここをよく使わせていただいておりました。それゆえ、上方藤四郎というペンネームを持つ先代のご主人とは昵懇(じっこん)の間柄でした。
そのご亭主が他界され、時代の流れで旅館業が立ち行かなくなり、息子の学さん(現・社長)がグルメビルへの建て替えを決断したのです。その時、私の父が「先代さんとの縁を切らんためにも、芸人が集(つど)えるサロンみたいなもんがでけへんかいな」と打診したのがきっかけ。鳥居さんはホールを作ることを決意したのです。米朝は、私を鳥居さんに引きあわせて、「あのなぁ、ホールの企画なんかは小米朝のほうが詳しいさかい、あとはこいつに訊いてくれ」と言って帰りました。こうして二人が出会ったわけです。
完成したホールを見て、私はびっくり。興行の小屋とはあまりにかけ離れた造りでした。
「鳥居さん、訊(き)くんやったら図面の段階で相談してえな!」
「いや、図面は米朝師匠に何遍も見せましたよ。模型まで作りましたで」
「見せる相手が間違うてるがな」
この日から鳥居社長の悪戦苦闘が始まりました。「ホール前のテラスにはガラスを入れてえな」「エレベーターのボタンは 4 ではなく TORII HALL に変えるべきや」といった私の勝手なお願いを彼は素直に聞き入れて下さり、さらなる借金をしてホール運営のため身を粉にして努力されました。
その甲斐あって開館 年を過ぎた頃から、次第にホールの知名度が上がり、今では大阪の観光冊子にまで載るようになりました。
しかし、トリイ寄席を続けていく中で、他界していった噺家も数知れず。桂枝雀、古今亭志ん朝、桂歌之助、桂吉朝、桂文枝、林家染語楼・・・。芸人の逝去とともに、ミナミの味わいもどんどん消えてゆく現実に、私はハッとしました。
ある日、私は鳥居さんに「中座や浪花座が消えて、ミナミが沈滞して行ったら、上方文化そのものが消えてしまうで。考えたら、ミナミに芸能の神さんがないのはなんでやろ」と、いつになく熱弁しました。それを聞いた鳥居さんは、難波八阪神社の宮司や法善寺前本通り商店会の方々とともに、弁天さんを祀(まつ)ることを決意され、上方ビルの入口付近に祠(ほこら)を建て、奈良県の天河神社(天河大弁才天社)から分け御霊を奉納されたのです。
旅館閉館とともに埋められていた井戸をもう一度掘り起こし、地下水がこんこんと湧くさまは、目には見えませんが、気運を上げる竜の道が開通したかのようです。
法善寺のお不動さんと呼応するように建てられたお社。名実ともにトリイホールになりました。
ミナミのさらなる繁栄には、皆様のお力添えが不可欠です。私も芸道に精進しますので、今後ともご愛顧をよろしくお願い申し上げます。 |
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大阪市中央区千日前1-7-11上方ビル4F
TEL:06-6211-2506
地下鉄「難波」駅または「日本橋」駅下車。なんばウォークB20出口より徒歩2分。 |
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